岩井問題 (理不尽な休職要請を受けて)

はじめに

 岩井教諭は、33年の教員生活の後半10年ほどは、網膜色素変性症が発生し、徐々に徐々に見えにくくなる。2006年秋には、生徒の顔がかすんで見える。教科書がすらすら読めない。テストの採点に何時間も要するようになった。校長に言うと病休を取れと言うので、病休。その後1年間の休職を取り、2008年4月に復職した。

網膜色素変性症の進行に伴って

 2008年度復職はすんなり決まる。模擬授業はするのか、話し合いはと思ったが無かった。視覚障害に対する特別の補助はなく、授業は週22時間である。2008年は休職のおかげで2006年秋の頃より、むしろ良くなったが、変性症は進行性で生徒の鉛筆の文字が見えにくくなる。黒板に字を書こうと思っても距離感がつかめない。
 2009年度校長に窮状を言う。町費による数学と英語の教科支援員のうち岩井教諭の国語の授業のサポートのため、1名を流用した。支援員は授業のアシスタントとして。支援員には 1、挙手の様子を知らせてもらう。 2、プリント回収の補助等をしてもらう。授業の内容にかかわることはしていない。一方、勤務時間外は頼まなかったし、視覚障害ゆえの困った多くのことは自分でした。
 ここで校長は岩井教諭について 1、2010年度から岩井教諭に町費による支援員がつかなくなる。2、視覚障害の状況が思ったより悪いと分かった。3、保護者からのクレームが心配になった。と判断したと思われ、県に加配を求めたができないことが分かった。校長は岩井教諭の一人での授業の遂行、評価評定は出来ないと判断し次年度の国語科の授業は成立しなくなるだろうと心配した。そこには、視覚障害に対する無理解があった。この状況を解決するには、岩井教諭に休職を取ってもらうことが、無難の策と校長は判断して岩井教諭に、休職を執拗に迫った。岩井教諭は、障害者排除を感じ、「そのつもりはありません。」と言う。この件について、岩井教諭は校長と話し合っても解決しないと思い、教育ネットに相談した。

教育ネットの取り組みと成果

 教育ネットは、要望書を提出して、埼玉県教育委員会(以下県教委)と交渉をすることにした。要望書の趣旨は、2009年度の岩井教諭の実情を述べ、補助者がつけば仕事が出来るので、つけてほしいというものである。2010年1月5日に県教委の担当者と交渉した。その結果、2010年3月末に国語の臨時採用の教師が、県費でつく事が分かった。
 2010年度は臨時採用の教師と一緒に授業し、テストと採点は共に半分ずつ分担した。評価については共に行った。臨時採用の教師との授業は、今までより細かい配慮が出来、工夫が出来るようになった。このことは単なる補助ではなく、チームティーチング1+1は2ではなく、2以上になることを示唆している。今後も補助員が必要である。
 尚この期間の岩井教諭の教育活動については、本誌P57にある。